敬語使用の内的要因

 


先日、同僚3人と話している時に学生が教師に友達口調で何か言ったときにフィードバックを与えるかという話になりました。

1人の同僚が「もう一度」と言われたら「もう一度お願いします」を暗示的に促すと言い、私が「もう一度」は気にならないけど「ありがとう」は気になるなと言うと、別の同僚が「もう一度」も「ありがとう」も気にならないけど「そうそう」は気になるよと続き、最後の1人が「そうそう」は気にならないけど「そう()ね」と最後に「ね」を付けられると気になるんだよねと —— メ口・敬語の感覚って十人十色なんだね~というところで話が落ち着きました。

敬語注1は一般的に自身と話し相手との『社会的な距離』を具体化するシグナルだと考えられています。社会的な距離というのは「あなたの方が社会的な地位が高い」といった縦の関係もあるし、「あなたとは近親関係や友人関係にはない」といった横の関係もあります。社会的な距離のほかにも『発話時の状況』(会議中なのか、カフェで雑談しているのか等々)によっても敬語の使用は左右されると言われています。

このような一般論から見ると、日本語学習者は教師に敬語を使うのが普通だと思われます。でも、実際それぞれの教師が持つ感覚は人によって違う、それはなぜか。

縦と横の両軸において『社会的距離』があるとみなされる関係の一つに店員と客の関係があります。京都と大阪にある大型デパートと160ほどの商店が軒を並べる商店街(合計4カ所)で店員の敬語使用について調査した研究があります。デパートであっても商店街であっても、客の方が社会的な地位が高いとされ、店員にとって客は友人でも家族でもありません。なので、店員は客に対し敬語を使うというのが一般常識です。

しかし、店員と客の会話を録音して分析してみると、一般常識とはほど遠い複雑な敬語使用の実態が広がっています。

まず、デパートの店員と商店街の店員の敬語使用率を比べると、デパートの店員の方が圧倒的に多く敬語を使っていました。デパートの店員は客に対して基本敬語、一方、商店街、特に大阪の商店街の店員は客に対して敬語をまったく使わない人もいる、という結果でした。例を見てみましょう。

(1) デパートで

店員      「いっらっしゃいませ。どうぞ、ご覧くださいませ」

(2) 商店街の魚屋さんで

店員      「中トロや、中トロ。いいの入ってるよ。

                見ていってよ、見ていって」

(1)でも(2)でも店員は商品を見てほしいということを客に伝えていますが、(1)では尊敬語(「ご覧くださる」)も丁寧語(「くださいませ」)も使われているのに対し、(2)ではどちらも使われていません(「見ていって」)。

もう少し例を見てみましょう。

(3)デパートで

                           「これの大きいのない?」

                店員      「はい、少々お待ちいただけますか」

(4)商店街の八百屋さんで

                           「や、まったくエンドウご飯と一緒やね」

                店員      「そうそうそうそう」

                           「全部でいくらになるかな」

                店員      「そう、ありがとう、ええと、二千百円、

                                二千円でええわ」

(3)でも(4)でも客はタメ口ですが、デパートの店員は徹底して敬語を使い、商店街の店員はタメ口で返しています。また、以下の例のようにデパートの店員は頻繁に「でございます」を使いますが、商店街の店員は「です」を使うことはあっても「でございます」を使うことは皆無だったそうです。

(5)デパートで

                店員      「あ、ハンカチはちょうどこの奥の方でございます」

(6)商店街の乾物屋さんで

                店員      「それ、二百八十円です」

ここまで見てきたように、全体的にはデパートと商店街ではデパートの店員の方が敬語使用が徹底しているという傾向が見られましたが、商店街の店員の中にも上の(6)や以下の(7)のように客に対し敬語を使う人も多くいました。

(7)商店街の八百屋さんで

                店員      「はい、四百円ね。袋入れましょうか?」

               「あ、さっき・・・入ってるから」

    店員      「あ、いいですか?」

また、(7)の店員の最初の発話(「はい、四百円ね。袋入れましょうか?」)に見られるように、商店街の店員の中には同じ相手とのやり取りでタメ口と敬語をミックスして使う人も多くいました。以下の(8)は大阪、(9)は京都の商店街で聞かれた例です。

(8)商店街の魚屋さんで

                店員      「カニ、見ていってよ。どうぞ中に入って

                                見ていってください」

(9)商店街の乾物屋さんで

                店員      「そうやね、はい。どっちでもよろしいですか」

ちなみに、デパート・商店街全体にスピーカーから流される案内はデパートでも商店街でも(語彙・文法面において)共通語が使用されていたということです。ただ、デパートでは発音も共通語のイントネーションでしたが、商店街の案内は関西弁の発音でした。

このように、実際の会話の中での敬語使用を観察してみると、正しい敬語の使い方というのは存在しないことがわかります。大事なポイントは、敬語を使うか否か、使うとして、どのような敬語をどこまで使うかは、決して外的な要因と直接結びついているのはないということです。もし『社会的な距離』をそのまま具体化するのが敬語なら、上の(1)~(9)の例に出てきたような敬語使用のばらつきや大きな個人差は観察されないはずです。

デパートではマニュアルがあり、雇われ身である店員はクビになりたくなかったらそれに従うしかない。また、車のディーラーのように歩合制ではないので顧客と個人的な関係を築くインセンティブがないのもマニュアル通り敬語を貫くことが多い理由なのかなと思います。しかし、そんな場合でも機械的に従っているのではなく個人個人自分の中で判断し行動した結果です。

一方、商店街の店員は自身が店主でもあることが多く、客と親しく接しフレンドリーな印象を持ってもらうことは、顧客の獲得にも売り上げにも繋がる大切なビジネススキルといえるでしょう。もちろん、話者個人のこれまでの人生経験や性格なども、周囲の状況をどう判断し言語使用に反映させるかに大きく影響します。ですから、商店街の店員の中に敬語をより多く使う人もいて当然です。

『社会的距離』のあるとみなされる一人の話し相手に対し敬語とタメ口をミックスして使うのは一見不思議に思われるかもしれませんが、話者自身の印象や相手に対する距離感の印象(の印象)を調節するのに多くの人々が日常的にやっていることです。

日本語教師と学習者に話を戻すと、みなさんの周りにも学生に対してよく友達口調で話す教師もいれば徹底して敬語(丁寧語)を使う人もいると思います。多くの方はミックス傾向にあるのではないでしょうか。では、学習者はどうですか?



1.    敬語には話題にあがった人に対し敬意を示す「尊敬語」と「謙譲語」、話し相手に対し敬意を示す「丁寧語」があると言われています。

 

引用・参考文献

Okamoto, S., 1998. The use and non-use of honorifics in sales talk in Kyoto and Osaka: Are they rude or friendly? In Akatsuka, N., Hoji, H., Iwasaki, S., Sohn, S., Strauss, S. (Eds.), Japanese/Korean Linguistics 7. CSLI, Stanford, pp. 141–157.

用例の出典

Okamoto, S., 1998. The use and non-use of honorifics in sales talk in Kyoto and Osaka: Are they rude or friendly? In Akatsuka, N., Hoji, H., Iwasaki, S., Sohn, S., Strauss, S. (Eds.), Japanese/Korean Linguistics 7. CSLI, Stanford, pp. 141–157.