「は」で始まる発話―文法と話法―

「文法」とは文字どおり文を作るための法則のことですが、外国語教育や国語教育ではたいていの場合、文章だけでなく話しことばについて語ったり教えたりする時にも応用されています。たとえば、以前のコラムにも登場した助詞の「は」です。「は」他の言葉にくっ付いて初めて意味を成す機能語ですが、話しことば、特に会話の中では以下の例のように発話の頭に「は」(wa) がひとりぼっちで出てくることがあります。

(1) は、すごくかかってるよね。

(2) は、水曜日です。

もちろんこのコラムは書きことばですから、上の例を読んだときに「え?何これ。変でしょ」と私も思います。でも、話しことばのやり取りではこのような助詞で始まる発話はさほど珍しくありません。さらに、例のように単独で発話を聞いても(読んでも)訳がわかりませんが、話しことばでは単独で何かが発話されるということはまずなく、いづれの発話も前後の文脈 ― 「文脈」だとどうしても書きことばチックになるので造語ですがあえて『話脈』を使います ― 前後の話脈の中でしか存在しえません。上の例の話脈を明かすと、

(1)は友人同士の会話で、一人が途中まで言いかけた発話を受けてもう一人が締めくくっています。

(1) A:      時間とかさ、労力とか…

B:      は、すごくかかってるよね。

一方(2)は客と店員の会話で、客の質問に店員が答えています。

(2) A:      お店の定休日は何曜日ですか。

            B:      は、水曜日です。

(1)の「は」は助詞の機能をフル活用して相手と協調的な会話を成立させていますが、(2)の「は」はどうでしょうか。一見、必要ないように思えますよね。

さらに詳しく(2)の「は」の話脈を見てみると、まずBの発話はAの質問に対する返答で、さらに質問したAはお客さんなので丁寧に接するべき相手です。(2)の「は」は、この「質問に対する返答」、そして「質問をした相手が立場上の目上の人」という二つの話脈と強く結びついていて、助詞としての「は」の機能よりも、他に返答発話の頭によく見られる「ん~」や「え~」の機能、つまり躊躇、ためらい、相手に対する配慮や丁寧さを表しているようです。この「は」で始まる返答に関して1999年に国語辞書編纂者の飯間浩明先生もご自身のブログで言及なさっています1

ためらいを表す「ん~」や「え~」と同じ位置(返答の頭)に現れ、似た機能を果たす「は」は名詞に続く「は」と比べ声の音調が高く母音が長く発音される傾向も見られるそうです。頭の中で上の例のやり取りを声付きで想像してみてください。(2)はちょっと高い声で「は~」という感じで。私はこの声付き想像で(2)の「は~」も 確かに聞いたことあるなと思いました。

このように文法ならぬ『話法』では一つの発話を単独で扱うことはナンセンス(←まだ使いますか?死語?)で、その発話がどんなやり取りの中で、どのタイミングで、どんな相手に向けられた発話であるかが加味された状態で初めて意味を持ちます。

つまり、『話法』(文法もですが)はもともと決まりがあるわけでも不動なものでもなく実際の言語使用の中で形作られまた変化していくものです。

「は」の例にもどりましょう。(1)の「は」の用法はすでに広く多くの人が使っていますが、(2)の「は」は確かに使う人はいるな、でも自分は言わないぞと思う人が多いのではないでしょうか。ことばの変化は最初は少人数だけが使う若者言葉や口癖のようなものなのかもしれません。多くの人は長い間誰かが使うのを聞いていて理解はしていても自分が使いだすのは不特定多数の人が使うようになってから。昔、父が「チョー」を使いだした時のことを今でも覚えていますが、早く取り入れすぎて娘の私には違和感満載でした。人によっては自分が長年使ってきた言葉づかいとあまりにかけ離れていたり自分のイメージとそぐわないと、私はそれは使いません!という選択もありですよね。

話法は文法よりも速いスピードで変化していくので、世代間ギャップがでてきたり、書きことばの文法がすべての言語使用の規範であると疑わない人にとっては「最近の日本語は乱れておる」となるのも理解できます。自分が年を取っても若い人とふつうに会話できるといいな。


1.以下の引用・参考論文に記述あり。

引用・参考文献

Nakayama, Toshihide and Fumino Horiuchi (2021) Demystifying the development of a structurally marginal pattern: A case study of the wa-initiated responsive construction in Japanese conversation. Journal of Pragmatics 172: 215-224.

用例の出典

Nakayama, Toshihide and Fumino Horiuchi (2021) Demystifying the development of a structurally marginal pattern: A case study of the wa-initiated responsive construction in Japanese conversation. Journal of Pragmatics 172: 215-224.