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敬語使用の内的要因

 


先日、同僚3人と話している時に学生が教師に友達口調で何か言ったときにフィードバックを与えるかという話になりました。

1人の同僚が「もう一度」と言われたら「もう一度お願いします」を暗示的に促すと言い、私が「もう一度」は気にならないけど「ありがとう」は気になるなと言うと、別の同僚が「もう一度」も「ありがとう」も気にならないけど「そうそう」は気になるよと続き、最後の1人が「そうそう」は気にならないけど「そう()ね」と最後に「ね」を付けられると気になるんだよねと —— メ口・敬語の感覚って十人十色なんだね~というところで話が落ち着きました。

敬語注1は一般的に自身と話し相手との『社会的な距離』を具体化するシグナルだと考えられています。社会的な距離というのは「あなたの方が社会的な地位が高い」といった縦の関係もあるし、「あなたとは近親関係や友人関係にはない」といった横の関係もあります。社会的な距離のほかにも『発話時の状況』(会議中なのか、カフェで雑談しているのか等々)によっても敬語の使用は左右されると言われています。

このような一般論から見ると、日本語学習者は教師に敬語を使うのが普通だと思われます。でも、実際それぞれの教師が持つ感覚は人によって違う、それはなぜか。

縦と横の両軸において『社会的距離』があるとみなされる関係の一つに店員と客の関係があります。京都と大阪にある大型デパートと160ほどの商店が軒を並べる商店街(合計4カ所)で店員の敬語使用について調査した研究があります。デパートであっても商店街であっても、客の方が社会的な地位が高いとされ、店員にとって客は友人でも家族でもありません。なので、店員は客に対し敬語を使うというのが一般常識です。

しかし、店員と客の会話を録音して分析してみると、一般常識とはほど遠い複雑な敬語使用の実態が広がっています。

まず、デパートの店員と商店街の店員の敬語使用率を比べると、デパートの店員の方が圧倒的に多く敬語を使っていました。デパートの店員は客に対して基本敬語、一方、商店街、特に大阪の商店街の店員は客に対して敬語をまったく使わない人もいる、という結果でした。例を見てみましょう。

(1) デパートで

店員      「いっらっしゃいませ。どうぞ、ご覧くださいませ」

(2) 商店街の魚屋さんで

店員      「中トロや、中トロ。いいの入ってるよ。

                見ていってよ、見ていって」

(1)でも(2)でも店員は商品を見てほしいということを客に伝えていますが、(1)では尊敬語(「ご覧くださる」)も丁寧語(「くださいませ」)も使われているのに対し、(2)ではどちらも使われていません(「見ていって」)。

もう少し例を見てみましょう。

(3)デパートで

                           「これの大きいのない?」

                店員      「はい、少々お待ちいただけますか」

(4)商店街の八百屋さんで

                           「や、まったくエンドウご飯と一緒やね」

                店員      「そうそうそうそう」

                           「全部でいくらになるかな」

                店員      「そう、ありがとう、ええと、二千百円、

                                二千円でええわ」

(3)でも(4)でも客はタメ口ですが、デパートの店員は徹底して敬語を使い、商店街の店員はタメ口で返しています。また、以下の例のようにデパートの店員は頻繁に「でございます」を使いますが、商店街の店員は「です」を使うことはあっても「でございます」を使うことは皆無だったそうです。

(5)デパートで

                店員      「あ、ハンカチはちょうどこの奥の方でございます」

(6)商店街の乾物屋さんで

                店員      「それ、二百八十円です」

ここまで見てきたように、全体的にはデパートと商店街ではデパートの店員の方が敬語使用が徹底しているという傾向が見られましたが、商店街の店員の中にも上の(6)や以下の(7)のように客に対し敬語を使う人も多くいました。

(7)商店街の八百屋さんで

                店員      「はい、四百円ね。袋入れましょうか?」

               「あ、さっき・・・入ってるから」

    店員      「あ、いいですか?」

また、(7)の店員の最初の発話(「はい、四百円ね。袋入れましょうか?」)に見られるように、商店街の店員の中には同じ相手とのやり取りでタメ口と敬語をミックスして使う人も多くいました。以下の(8)は大阪、(9)は京都の商店街で聞かれた例です。

(8)商店街の魚屋さんで

                店員      「カニ、見ていってよ。どうぞ中に入って

                                見ていってください」

(9)商店街の乾物屋さんで

                店員      「そうやね、はい。どっちでもよろしいですか」

ちなみに、デパート・商店街全体にスピーカーから流される案内はデパートでも商店街でも(語彙・文法面において)共通語が使用されていたということです。ただ、デパートでは発音も共通語のイントネーションでしたが、商店街の案内は関西弁の発音でした。

このように、実際の会話の中での敬語使用を観察してみると、正しい敬語の使い方というのは存在しないことがわかります。大事なポイントは、敬語を使うか否か、使うとして、どのような敬語をどこまで使うかは、決して外的な要因と直接結びついているのはないということです。もし『社会的な距離』をそのまま具体化するのが敬語なら、上の(1)~(9)の例に出てきたような敬語使用のばらつきや大きな個人差は観察されないはずです。

デパートではマニュアルがあり、雇われ身である店員はクビになりたくなかったらそれに従うしかない。また、車のディーラーのように歩合制ではないので顧客と個人的な関係を築くインセンティブがないのもマニュアル通り敬語を貫くことが多い理由なのかなと思います。しかし、そんな場合でも機械的に従っているのではなく個人個人自分の中で判断し行動した結果です。

一方、商店街の店員は自身が店主でもあることが多く、客と親しく接しフレンドリーな印象を持ってもらうことは、顧客の獲得にも売り上げにも繋がる大切なビジネススキルといえるでしょう。もちろん、話者個人のこれまでの人生経験や性格なども、周囲の状況をどう判断し言語使用に反映させるかに大きく影響します。ですから、商店街の店員の中に敬語をより多く使う人もいて当然です。

『社会的距離』のあるとみなされる一人の話し相手に対し敬語とタメ口をミックスして使うのは一見不思議に思われるかもしれませんが、話者自身の印象や相手に対する距離感の印象(の印象)を調節するのに多くの人々が日常的にやっていることです。

日本語教師と学習者に話を戻すと、みなさんの周りにも学生に対してよく友達口調で話す教師もいれば徹底して敬語(丁寧語)を使う人もいると思います。多くの方はミックス傾向にあるのではないでしょうか。では、学習者はどうですか?



1.    敬語には話題にあがった人に対し敬意を示す「尊敬語」と「謙譲語」、話し相手に対し敬意を示す「丁寧語」があると言われています。

 

引用・参考文献

Okamoto, S., 1998. The use and non-use of honorifics in sales talk in Kyoto and Osaka: Are they rude or friendly? In Akatsuka, N., Hoji, H., Iwasaki, S., Sohn, S., Strauss, S. (Eds.), Japanese/Korean Linguistics 7. CSLI, Stanford, pp. 141–157.

用例の出典

Okamoto, S., 1998. The use and non-use of honorifics in sales talk in Kyoto and Osaka: Are they rude or friendly? In Akatsuka, N., Hoji, H., Iwasaki, S., Sohn, S., Strauss, S. (Eds.), Japanese/Korean Linguistics 7. CSLI, Stanford, pp. 141–157.

 


理由の書き方・話し方

以前、文法ベースの授業をしていたとき、学生に「どうして日本語を勉強しているんですか」と聞くと「試験があるからです」という答えが返ってくることが多々ありましたが、これはコンテクスト(話脈)の共有が上手くなされていないために質問の意図がちゃんと伝わっていないのが原因でした。

文法的には正しいのになんかしっくりこないよなぁというときの原因にはコンテクストのずれの他に、媒体(言語で伝達するときの手段)やジャンルのずれが考えられます。例えば、友人や家族との電話会話と新聞の社説で使われている理由表現を比べてみると、瞬時に消え去る音を使った話し言葉とそこに留まり続ける文字を使った書き言葉、それぞれの媒体の特質から生じる言語使用の違いを垣間見ることができます。

冒頭の例にある<勉強するという行為>と<その理由>を一文で表そうとすると、以下のリストのように様々な表現を使うことができます。日常会話では使われそうだけど社説では使われなさそうな表現、またその逆のパターンが見られそうな表現はあるでしょうか。コラムを読み進める前にちょっと考えてみてください。では、シンキングタイム、スタート!♪( ´θ`)ノ


1)  試験があるから、勉強している。

2)  試験のために、勉強している。

3)  試験がある、勉強している。

4)  試験があるので、勉強している。

5)  試験がある。だから、勉強している。

6)  試験がある。そのために、勉強している。

7)  勉強している。だって、試験がある(もん/でしょ?/から)。

8)  私が勉強しているのは試験があるから/ためだ

9)  試験がある私は勉強している。


( ̄ヘ ̄)ウーン  ( ̄ヘ ̄;)ウーン

 

日常会話で最も頻繁に使われる理由表現は【から】です。ただ、(1)のように「<理由>から、<状況・結果>」の順番で現れるとは限らず、次の(11)のように理由を後から言う例や(12)のように相手が言ったことに対してあり得る理由を言う例も多く見られます。

 

(11)((父親がアメリカにいる息子と話していて、英語を話す息子の配偶者または同居人と電話を代わらなくてもいいと言っている)) 音声リンク: 5:01-5:05

父: あ まあ 代わらんでもいいけど。どうせ、どうせ、話せ‐あの話せんから。ハハハ

 

(12)((友人との会話で、お互いの最寄り駅について話している)) 音声リンク: 8:14-8:19

 A: T君、「カイジン」((駅名))でしょ?

 T: そう。

 A: よく覚えてるでしょ?

 T: ハハハ

 A: ハハハ

 T: 変な名前だからね。

 

一方、社説では理由を示す【から】の使用頻度は会話の1割と非常に低く、発言の引用以外は「・・・からこそ・・・」や「・・・のは・・・からだ/である/だろう」のように強調表現の一部として使われることが多いようです。

【し】も【から】ほどではありませんが、会話に頻出します。でも、「・・・し・・・し」のようにリストとしてではなく【から】と同様、単発で使われることの方が圧倒的に多いようです。社説で【し】が使われることはごく稀です。

反対に、【ため】は、会話での使用は稀ですが、社説では「このため・・・/そのため(に)・・・」、「・・・のは・・・ためだ/である/だろう」、「<出来事の報告>。・・・ためだ/である/だろう」のパターンで使われています。

理由を示す接続助詞の中で、会話でも社説でも使用がほとんど見られないのが【ので】(または【んで】)で、この傾向を推測した方は少ないのではないでしょうか。ただし、会話の中では、なんらかの理由でかしこまった話し方をしているときには【ので】の使用が見られました。次の例は国際電話をしている姉妹の会話です。抜粋した部分以外ではお互いタメ口で話していますが、【ので】の使用部分では丁寧語を使っています。


(13)((アメリカに住んでいるAが日本に住んでいるBにある新聞記事を見つけてほしいと頼んでいる)) 音声リンク: 1:58-2:06

A: ま、いいや。

B: そうそう、うん。                        ((後ろにいる家族に向かって))

A: ゆっくり [ 探しておいてください。

B:         [ 探しといて。              ((後ろにいる家族に向かって))

B: うん。アハ

A: 30分間与えられていますので

B: なんだそれ、クイズ:?クイズ番組:?

A: 違うよ。

 

【から】の次に会話で多く使用されている理由を示す表現は【だから】です。ただ、【だから】は必ずしも「<理由>。だから<状況・結果>」を示すわけではなく、もっと大まかに{【だから】に続く発話がすでに(自分または相手によって)言及された出来事や心情に基づいていること}を示すことの方が多いようです。一方、社説では【だから】の使用頻度はとても低く、「だからと言って、<意見・反語>」のパターンで、これまた強調表現として使われているようです。

【だって】はおそらくシンキングタイムで推測していただいたように会話には頻出しますが、社説では使われません。会話中の【だって】の使用で特徴的なのは、4割方、以下のように特定の発話末の表現と一緒に使われることです。中でも「もん」と「でしょ?」との共起が多いようでです。


だって・・・もん/でしょ?/から/し/じゃん/じゃない?」

 

最後に、リストの(9)「試験がある私は勉強している」ですが、これは名詞修飾文が理由を提示するのに使われている例です。

会話では、日本語の教科書に出てくるような複雑な名詞修飾が使われること自体珍しいですが、名詞修飾が理由の提示に使われることはまずないと言っていいようです。

一方、社説では、以下の例ように、名詞修飾節内で紹介されている情報(「国内の米軍基地の75%を受け入れている」という情報)が後続の節で述べられている意見(「沖縄県が負担軽減を要求するのは当然だろう」という意見)の根拠として提示されています。

 

(14)朝日新聞20051027日の社説より

[ 国内の米軍基地の75%を受け入れている ] 沖縄県 が負担軽減を要求するのは当然だろう。


この名詞修飾文は理由の接続助詞を使って次のように言い換えることが可能です。

(15)理由・根拠を提示する名詞修飾文の言い換え

→ 国内の米軍基地の75%を受け入れているのだから、その沖縄県が負担軽減を要求するのは当然だろう。

 

名詞修飾文を使った理由や根拠の提示の仕方は、何が事実で何が意見なのかはっきりと区別する必要のある社説のようなジャンルでは重宝されるのでしょう。また、複雑な名詞修飾文や「・・・のは・・・からためだ」のような構造が入り組んだ文を作ったり理解してもらったりできるのは、社説のような書き言葉の媒体では書き手も読み手も、十分な時間を許されているからです。

今回は理由の書き方・話し方を取り上げましたが、媒体・ジャンルによる言語表現やパターンの違いは至る所で見られるのではないかと思います。


引用・参考文献

Kawanishi, Yumiko, Iwasaki, Shoichi, 2018. Reason-coding in Japanese. In Endo Hudson, M., Matsumoto, Y., Mori, J. (eds.), Pragmatics of Japanese: Perspectives on Grammar, Interaction and Culture, pp. 17-48. John Benjamins.

用例の出典

Kawanishi, Yumiko, Iwasaki, Shoichi, 2018. Reason-coding in Japanese. In Endo Hudson, M., Matsumoto, Y., Mori, J. (eds.), Pragmatics of Japanese: Perspectives on Grammar, Interaction and Culture, pp. 17-48. John Benjamins.

CABank Japanese CallHome Corpus. 1996. https://ca.talkbank.org/access/CallHome/jpn.html

虚像の多様性

日本のテレビCMを見るといつも外国人が登場する頻度の高さにとても不思議な感覚を覚えます。しかも日本での永住者の割合が高いアジア系ではなく9割方は欧米系です。コマーシャルの目的は商品のイメージをよくして売上を伸ばすことですから、視聴者の人種に対する印象に何かしらの歪みがあると会社側が判断していることがうかがえます。一方で、欧米系の出演者はカタコトの日本語を話し「他者」であることが強調されています。

2014~15年に放映されたNHKの朝ドラ「マッサン」のヒロイン・エリ―もまた「多様性」の賛美の裏で圧倒的「他者」として描かれています。それは、母語話者の話す日本語と第2言語話者の話す日本語は絶対的に異なるというような社会的言語観念を反映し、テレビCMに負けず劣らぬ不思議な形で表れています。

エリ―は「誰よりも日本人の心がある」と褒められながら、日本人の典型的な西洋人のイメージに合わせ髪を金髪に染められただけでなく、彼女の背景・設定からはありえない言葉を与えられました。広島弁を話す夫から日本語を学んだという設定なのに、自身が話すのは東京弁(共通語・標準語)。以下は夫の妹の発話をそのまま聞き返した時のものです。

夫の妹: まちごうた夢なんよ。

エリ―: まちがった夢?

夫と12年間大阪に住んでいた時でさえ、あいさつや聞き返しを除いて東京弁を貫いたようです。なぜか誰からも教わっていない話し方を習得してしまったということになります。次の例は大阪を離れる時のあいさつです。

エリ―: 私、大阪大好き。皆と別れる、とってもとっても寂しい。

                  たくさん悲しい。      

(ちょっと話はズレますが、実際に外国人留学生を受け入れた日本の家庭で、家族間では普通に地域の方言で話すのに、留学生に話すときだけ東京弁を使う傾向が見られるというレポートがあるようです。いづれにせよ、「われわれ」と「彼ら」の線引きが行われているようです。)

エリ―の話し方の特徴にはもうひとつ女性言葉の欠落があります。女性言葉は主にアニメや映画・小説などフィクションの世界で使われ、大人の女性キャラの「役割語」です。一般的に外国語を話す設定のキャラクターでも女性言葉は使われており、女性言葉を使わないエリ―の発話は「よそ者」と「幼さ」感がアップしています。以下ではエリ―は夫に話しかけています。

エリ―: ウイスキー作る前に死んじゃうよ。

     (女性言葉だったら「ウイスキー作る前に死んじゃうわよ」)

おもしろいことにエリ―が英語で話している時の日本語字幕には女性言葉が登場します。

エリ―:  You are absolutely right, my love. I don’t know what I was thinking.

[ 字幕:  そうだったわね。どうして忘れちゃったのかしら。]

また、上記の大阪を離れる時の例のように、エリ―の発話は助詞や接続詞が欠けたカタコトが多く「たくさん悲しい」のような言い間違いもふんだんに見られます。

多様性というのはただそこに存在するもののはずですが、テレビCMやドラマに存在するのは何かしらの企みで作り上げられた虚像の多様性ですね。エンタメなんだからおもしければいいじゃんという気もしますが、気軽に多くの人が消費するエンタメだからこそ慎重に吟味する必要があると考えます。


引用・参考文献

Suzuki, Satoko. 2020. Multiculturalism or cultural nationalism? Representation of Ellie Kameyama as a conduit and the other in the NHK morning drama Massan. Japanese Studies 40(2), 121-140.

用例の出典

Suzuki, Satoko. 2020. Multiculturalism or cultural nationalism? Representation of Ellie Kameyama as a conduit and the other in the NHK morning drama Massan. Japanese Studies 40(2), 121-140.

 

「に」と「へ」

 


日本語には人や物が移動した結果行きつく先を示す助詞が二つあります。

「に」と「へ」どうやって使い分けるの?という素朴な疑問を一度は学習者から投げかけられたことがあるのではないでしょうか。

小学校の国語の教科書では当然のように「に」も「へ」も同じ機能を果たす助詞として扱われているようです。日本語が第1言語の子供は、話しことばでの「に」と「へ」の使い方はすでにマスターしているので学校でそう教えられたからといって日常会話で急に「に」と「へ」をミックスして使うようになることはないと思いますが、日本語を第2・第3言語として学んでいる学習者にとっては「に」と「へ」が入れ替え可能であると教えられればそう納得するしかありません。

文法書などでは「に」と「へ」は基本的に入れ替え可能だけど、焦点が当たる部分が違うよという説明が一般的なようです(「に」は終着点に、「へ」は向かう方向に、それぞれ焦点が当たる)。しかし、「に」と「へ」が実際どのような割合で使われ、どのような特徴を持っているのかを知るには、実際に使われている日本語を収集して分析するよりほかにありません。

実際に使用されている日本語を分析した結果、話しことばでは圧倒的に「に」が好まれ、書きことばでも「への」「へと」といったパターンを除いて「に」の方が多く使われていることが分かりました。

この研究では、まず日本語第1言語話者に短い文を50文読んでもらって、文中の動詞の前に「に」を入れるか、「へ」を入れるか、どちらでもOKか直観で判断してもらうというテストを行いました。以下、50文の中から2文を紹介します。

太郎は先週アメリカ__出発した。 (Taro left for America last week.)

太郎はもうアメリカ__着いた。 (Taro has arrived in America.)

テストの結果は、終着点にフォーカスした「着く」や「入る」などの動詞の前では「に」が好まれる傾向があり、出発点にフォーカスを当てた「出発する」や「出かける」などの動詞の前では「へ」が好まれる傾向がありました。この結果は、第1言語話者の“直観”が自身の言語使用を必ずしも反映していないことを示唆しています。

実際の話しことば(この研究では電話の会話)では、動詞の種類に関わらず8対1の圧倒的な割合で「に」が好まれて使用されていました。「へ」が使われている発話を見てみると、出発点にフォーカスした動詞と共起するのはまれで、「に」と同様に出発点にも終着点にも特にフォーカスのない「行く」との共起が一番多く見られました。「へ」の使用で特徴的な共起は動詞ではなく名詞の種類で「そこへ」と「どこへ」が多く見られたそうです。さらに「へ」は不特定の場所を示す「ところ」「の方(ほう)」「向こう」との共起も見られました。「に」は様々な動詞や名詞とともに使われていたということなので、明らかに「へ」のほうが限定的と言えるでしょう。

次に、書きことば(小説とエッセイ)での「に」と「へ」の使用ですが、こちらも5対1の割合で「に」の使用が「へ」を上回っていました。さらに、書きことばでも「へ」の使用の方が限定的で、4分の1以上が以下の例のように「へと」のパターンで使われていました。

家の中へと入っていった。

また、3割以上が以下の例のように「へと」のパターンで名詞の前に現れていました。

             ワシントンへの転勤

「へ」は話しことばと書きことばの間でもかなり使われ方が異なるようです。ひとつ、話しことばと書きことばで共通していたのは「の方(ほう)」との共起でした。「へ」は向かう方向に焦点が当たるという説明はあながち間違っていないようですね。ただこの理解が「の方へ」や「向こうへ」といった特定の例から得られたものなのかさらに広い例を通して見られる傾向なのかは分かりません。また、言語は常に変化しているので、ますます「に」の勢力が増していくかもしれないし、「へ」の特徴的な使用のパターンが発展していくかもしれません。

私自身は話しことばでは「へ」は全く使っていないような気がするんですが、自分の直観はあまり信用していません。


引用・参考文献

Kabata, Kaori. 2014. Interchangeability of so-called interchangeable particles: Corpus analysis of spatial markers ni and e. In Kabata, Kaori, and Tsuyoshi Ono (eds.), Usage-based Approaches to Japanese Grammar: Towards the understanding of human language, pp. 171-192. John Benjamins.

用例の出典

Kabata, Kaori. 2014. Interchangeability of so-called interchangeable particles: Corpus analysis of spatial markers ni and e. In Kabata, Kaori, and Tsuyoshi Ono (eds.), Usage-based Approaches to Japanese Grammar: Towards the understanding of human language, pp. 171-192. John Benjamins.

フィッツジェラルド フランシス・スコット『グレイト・ギャツビー』枯葉(訳)青空文庫 (http://www.aozora.gr.jp)


ノーよりのイエス

疑問語を含まない質問は、「はい」「いいえ」だけで答えられるので、日本語を習い始めたばかりの学習者相手にもよく使われます。例えば、次のような質問に対する返答は「はい」か「いいえ」で事足ります。

質問「学生ですか?」

答1「はい」

答2「いいえ」

では、次の質問はどうでしょう。

「元気ですか?」

「元気ですか」と聞かれて、たとえあまり元気じゃなかったとしても「いいえ」とストレートに答える人は(冗談や皮肉を除いて)あまりいないのではないでしょうか。

この例に限らず、相手の質問に対し、なにかしら否定的要素の入った返答をする場合、直球でよりも複雑な変化球で返すことが大変多いことが分かっています。ただし、プロ野球のそれとは違い、会話の中の変化球は投げる時のクセや球の流れが相手にだだ洩れです。だだ洩れでなければ意味がないのです。

変化球のクセのひとつに発話頭の「まあ」があります。「まあ」は、疑問語を含まない質問の中でも、相手に『理解や共感の確認をする』という目的を持った質問に対する返答の頭に現れることが多いそうです。実際の会話から例を見てみましょう。

(1)理解の確認

             A「酵素?」

             B「まあ酵素って言われてるもんですけど、いわゆる」

             A(頷く)

(1)ではAの質問の前にBが話していた物質が何であるのか、Aが理解の確認をする質問をしています。この質問に対し、「まあ」で前置きすることによって、Bはこれから述べることは「否定」ではなく『含みのある肯定』または『ノーよりのイエス』だよということを匂わせています(ちなみに『ノーよりのイエス』は『なしよりのあり』のもじりですが、このコラムを読んでくださっている時点でどの程度この表現が生き延びているのかはわかりません)。つまり、全面的な肯定はできないけど、総合的にはあなたの理解は合っているよという話者の譲歩的な態度を示しています。

(2)はポスドク3人の会話で、Dが働いている研究室に実験をしに来た学部生が短いショートパンツを履いてデスクの上に足を投げ出すのは行儀が悪いと発言した後、Cが反論しDに共感を求めています。

(2)共感の確認

             C「ショートパンツならいいじゃん?」

             D「まあそうですけど、僕はなんかサンドイッチ食べながら

                    ハムを落としてましたよ」

             C(笑い)

             D「動揺して」(笑い)

この例でも「まあ」で前置きすることによって『含みのある肯定』をほのめかし、さらに「学部生の姿を見て動揺しサンドイッチのハムを落としてしまった」と詳細な描写をすることで、なぜ「ショートパンツならデスクに足を投げ出しても問題ない」という意見に完全な共感を示すことができないか理由をつけ加えています。

このように、「はい」「いいえ」で答えられる質問でも、「はい」でも「いいえ」でもない、中間の返答が存在します。

そして、返答の前置きを聞くだけで、返答者が質問の意図や質問が暗示する前提をどう捉えているか読みとることができます。前置きには「まあ」の他に「あ」や「え」もあります。

さらに、前置きが「まあ」の場合、返答者が質問者への歩み寄りを示すことにより、これ以上お互いの認識のズレを追求したくもないしされたくもないといったスタンスを感じとることができるようです。実際、会話の中で「まあ」の前置きがあった返答の後に論点になっているズレを両者がさらに追及することはなかったそうです。

第一言語話者が無意識に使っている「まあ」のような言葉は、その役割を言葉にして説明するのが非常に難しいと思いますが、会話の中での意味の交渉、コミュニケーションの道具としてはかなり重要な役割を果たしていると言えます。


引用・参考文献

Arita, Yuki. 2021. Display of concession: Maa-Prefaced responses to polar questions in Japanese conversation. Journal of Pragmatics 186, 1–19.

用例の出典

Arita, Yuki. 2021. Display of concession: Maa-Prefaced responses to polar questions in Japanese conversation. Journal of Pragmatics 186, 1–19.

ナイスアシスト!


会話中、自分の言ったことを相手がよく理解できなかったとき、その相手が理解があっているか確認を求めることがあります。例えば以下の例を見てください。せっかくなので穴埋め問題にしてみました。あなたはB氏で同僚のA氏と自分たちのスポーツチームのトレーニングメニューについて話しあっています。

 B: ウエイトの時にあの~なんちゅうんすか。

こう~ストレッチとか~やらしたらいいんじゃないすかね。

 A: ウエイ[トの‐

 B:    [ケア‐ ケア的な。

 A: え、ウエイトの日にストレッチ入れろってこと?

 B: ______。

あなたが提案したことをA氏はよく理解できなかったようです。そして「え、ウエイトの日にストレッチ入れろってこと?」と理解の確認を求めてきました。A氏の理解があっている場合、あなたはどう答えますか。

選択肢は以下の二つ。

 ❶ はい。

 ❷ そうですそうです。

どちらも肯定表現なのでしっくり当てはまります。でも、どこかニュアンスが違います。

「はい/ええ/うん/んん」の類は単に聞き手の理解があっているということを示します。

一方、「そう/そうです」の類は聞き手の示した理解があっているという『理解の肯定』だけでなく、自分が言わんとしていたことを聞き手がうまく表現してくれた、という『ナイスアシストの認識』も示します。

また、「そう/そうです」を使うことにって、【自分が言ったことを理解できなかったのは聞き手の聞き逃しや理解力が原因なのではなく、自分が意図したことをうまく(相手が分かるように)表現できていなかったせいだよ】という話し手のスタンスも相手に示すことができます。

上の選択肢にあるように、「はい/ええ/うん/んん」の場合はそれぞれ1回のみで発話されることが多いのに対し、「そう/そうです」の場合は圧倒的に2回や3回繰り返して発話されることが多いそうです。

さて、話し手が言ったことをよく理解できなかったときの確認の方法は4つの種類があります。

 ① 物理的にその場に存在する物を指したり触ったりして理解を確認する

 ② 代名詞など発話場面に依存した意味を持つ言葉を明確化して確認する

 ③ 話し手が省いた情報を言語化して確認する

 ④ 話し手が言ったことを言い換えて理解を確認する

この中で①~③は単なる理解の確認として捉えられることが多いのに対し、④は理解の確認だけでなく話者が意図したことを代弁してくれた『ナイスアシスト』としても捉えられることが多いそうです。つまり傾向として、①~③に対する反応は「はい/ええ/うん/んん」が多く、④に対する反応は「そうそう/そうですそうです」が多いというわけです。

それぞれ例をあげておきます。

①の例

 M: あたしも焦げてるのほしい。

 S: ((テーブルの上のピザを見る)) これ? ((一切れのピザを手で触りながら))

 M: んん。

②の例

 O: いやでもあれおもしろくできる教科ですよ。

 G: 日本史*

 O: んん。

 (*「あれ」を「日本史」と明確化)

③の例

 O: 連れの下宿行っていっしょに作ったんです。

 G: マーボーナスを?

 O: はい。

④の例

 D: ぼく前トシキのとこ行くときに乗ろうと思って乗れなかってん。

 T: ああ、岐阜に?*

 D: そうそう。

 (*「トシキのとこ」を「岐阜」と言い換え)    

以前のコラム(「はい」と「うん」)ではインタビュー中のあいづちとして使用される「はい」と「うん」の違いを扱いましたが、同じ言葉でも話脈やポジションによって機能が異なるというのはインタラクティブな話しことばを理解するうえで不可欠な観点です。


引用・参考文献

Kushida, Shuya. 2011. Confirming understanding and acknowledging assistance: Managing trouble responsibility in response to understanding check in Japanese talk-in-interaction. Journal of Pragmatics 43, 2716–2739.

用例の出典

Kushida, Shuya. 2011. Confirming understanding and acknowledging assistance: Managing trouble responsibility in response to understanding check in Japanese talk-in-interaction. Journal of Pragmatics 43, 2716–2739.

もしもじゃない「たら」


「たら」の機能は?と聞かれたら、「もしタイムマシンがあったら」のような想像の仮定や「日本に行ったら」のような条件を表す用法がまず頭に浮かびます。さらに頭をしぼって考えてみると、助言・提案の「~たら?」、願望の「~たらなぁ」、定型句的な「よかったら」など、いろいろな用法があります。

これらの「たら」に共通しているのは、空想の世界であれ現実であれ、まだ起きていないことについて言及していることです。

しかし、「たら」はすでに起こった出来事について話す時にも使われます。過去の出来事に使われる「たら」は、以前のコラムにも登場した「て形」の用法と似ています。

以下の例は、言語学の実験で3~7歳の子供に『サザエさん』を見てもらい、その内容を知らない ((てい)) 大人にあらすじを説明してもらうという課題からの抜粋です。

(1)うんとね、お兄ちゃんのね、うんとね、コーヒーにね、ケーキが入ってね、お兄ちゃんの顔にね、うんとね、あのね、コーヒーがとんでね、うんとお兄ちゃんがね、うんとね、怒った。(3歳11ヶ月)

(2)イクラちゃんワカメにね、怒られて、イクラちゃん泣いちゃったの。(4歳6ヶ月)

この実験は20代の大人相手にも行われましたが、大人も子供も登場人物の言動や事象を起こった順番に繋ぐのに「て形」を使用していました。「て形」の使用頻度は圧倒的に高いですが、「て形」の次に多く見られたのが「たら」でした。

(3)ワカメちゃんがね、学校から帰ってきたらね、あ、うんとね、赤ちゃんがね、んん、クツ投げちゃってね・・・(5歳1ヶ月)

(4)あのね、カツオくんとね、ワカメちゃんがね、行ってね、覗いてみたらね、本当にね、カタツムリがいたのね・・・(6歳6ヶ月)

「て形」も「たら」も時系列上連続した言動や事象を順番に言い表すのに使われる点では同じですが、「たら」の場合すぐ後に言及されるのが何かしらの『発見』であることが多いのが「て形」とは異なります。『発見』といっても歴史に残る大発見である必要はなく、目で見たり鼻で嗅いだり、五感(あるいは六感)で認識できる何かに対する気付きなら何でもオッケーです。

「ワカメちゃんが家に帰ってきたら、赤ちゃんがクツを投げているのを発見!」

「カツオくんとワカメちゃんが行って覗いたら、カタツムリがいるのを発見!」

もちろん「たら」を使わず「て形」のみで淡々と語ることも可能ですが、「たら」を使うと次に何が起こるのか期待感を高める効果があるようです。話にメリハリもつきますよね。この実験では4歳から「たら」を使っていたそうです。ちなみに「て形」は3歳から。サザエさん家のタラちゃんは確か3歳なので「たら」は使わなくても「て形」は使っていてもおかしくないということですね。無論タラちゃん語にはどちらも存在しませんが。


引用・参考文献

Clancy, Patricia. 2020. To link or not to link: Clause chaining in Japanese narratives. Frontiers in Psychology 10.3008.

用例の出典

Clancy, Patricia. 2020. To link or not to link: Clause chaining in Japanese narratives. Frontiers in Psychology 10.3008.

 

へえ

 


ちょっと前に「トリビアの泉」といういろいろな分野の雑学を扱ったバラエティ番組がありました。新しいトリビアに関するVTRを見た出演者が「へぇボタン」を「へぇ」と思った数だけ押して評価するという流れでした。久しぶりに昔の映像を見てみると、「へぇボタン」押しながら出演者が口にしているのは意外にも「へぇ!」ではなく「えぇ!」が多い印象でした。「へぇ」と「えぇ」にはどんな違いがあるのでしょうか。

会話の中で新しい情報を伝えるときのやり取りにはパターンが見られます。まず、話し手が新情報を伝え、受け手が反応します。この時の受け手の反応は【新しい情報を受け取ったよ】ということ以外に二つの別のスタンスを示します。

一つは「あ、ほんとに?」のように【新情報に関する詳述を話し手に促す】スタンス、もう一つは「ふーん」のように【新情報に関する詳述を話し手に促さない】スタンスです。新情報に対する反応が【詳述を促す】ものだった場合、話し手はそれに応じ情報の詳細を伝えます。そしてその後で受け手は新情報に対する自身の見解や感想を伝えます。リストにすると 以下のような流れです。

① 話し手: 新情報

② 受け手: 詳述を促す反応

③ 話し手: 新情報に関する詳述

④ 受け手: 新情報に対する見解

「へぇ!」と「えぇ!」はリストの別の位置に表れます。以下の会話では典子と恵美がアメリカの大学教員の給料制度について話しています。

典子: そいで、だから夏は入ってないでしょ。

 
恵美: えぇ!テニュアもらってても?
    だからハミルトン[先生ももらえないの?   
 
典子:                         [そうそう。
    そうよ。

恵美: へぇ!知らなかった。

まず、典子が新情報を伝え、恵美は「えぇ!」と反応しています。そしてさらに詳細な情報(テニュアをもらってても夏の期間の給料はもらえない)を得た後に「へぇ!」と反応しています。

「えぇ」は【新しい情報を受け取ったよ】+【でも、新しい情報は私がすでに持っている知識や物の見方と合点がいかないよ】ということを示すのに使われ、「へぇ」は【新しい情報を受け取ったよ】+【そして、新しい情報は私がすでに持っている知識や物の見方とも合点がいったよ】ということを示すのに使われているようです。我々はつねに、新しく入ってきた情報が自分の中の既知情報とどのように結びつくのかを考え判断しているということだと思います。そしてそれを相手に伝える言葉があるのです。

「トリビアの泉」も、まずトリビアの概要VTRを見て出演者が反応し、そのあとにトリビアの詳しい内容を確認VTRを見てさらに反応するという構成になっていました。概要VTRの後は「えぇ」が多い印象でしたが、確認VTR後の出演者の反応をチェックしてみると会話の例と同じ「へぇ」、そして他にも「はぁ」「なるほどぉ」などを口にしていました。まだ番組が続いていたら「へぇ」の機能もトリビアとして扱ってもらえたかな。


引用・参考文献

Tanaka, Hiroko. 2013. The Japanese response token Hee for registering the achievement of epistemic coherence. Journal of Pragmatics 55, 51–67.

用例の出典

Tanaka, Hiroko. 2013. The Japanese response token Hee for registering the achievement of epistemic coherence. Journal of Pragmatics 55, 51–67.

Mori, Junko. 2006. The workings of the Japanese token hee in informing sequences: An analysis of sequential context, turn shape, and prosody. Journal of Pragmatics 38, 1175–1205.


「おいしいよ」「おいしいね」「おいしいよね」

 


何かに対して思ったことや感じたことを誰かに伝えるとき、よく発話末に「ね」や「よ」や「よね」を使いますよね。これらの終助詞を加えることによってその発言が独り言や一方的な見解の発表ではなく、相手の反応を求めている発言であることを伝えることができます。会話に出てくる言葉全体の中でも上位に入るほど頻繁に使われる「ね」「よ」「よね」ですが、どんな違いがあるのでしょうか。

一般的な説明だと「ね」は同意を求めたり示したりするとき、「よ」は相手が知らないことを伝えるときに使用される、とあります。一方「よね」は説明自体が多くありませんが、「よ」と「ね」が組み合わさった複合助詞であるという説明が主流みたいです。確かに形だけ見ると「よ+ね」と考えるのは自然ですが、機能を考えると「よ」と「ね」は相いれない印象です。そこで、頭を柔らかくして「よね」を独立した別の終助詞だと仮定して実際の会話を分析してみると、おもしろい発見があるようです。

以下は私の作例ですが、「よ」「ね」「よね」に注目してみてください。

(1) A: これ、おいしいよ。食べてごらん。      

    B: そうなの?(ムシャムシャ)んん、ほんとだ。おいしいね。

    C: あ、それ、食べたことある。おいしいよね。

「よ」を使ったAは明らかにこの食べ物(X)を食べた経験があり、話し相手(BとC)はXに関する知識がないと考えていることがわかります。

「ね」を使ったBはAが思った通りXを食べた経験はなく、この場で初めてXを食した上で、自身の見解(おいしい)をたった今得たものとして示しています。

最後に「よね」を使ったCは予想外にXをすでに食べた経験があり、自身の見解(おいしい)をAの発言よりも前に個人の経験と知識をもとに得たものとして示しています。

ポイントは『話題に挙げられたXに関する知識を誰がどのくらい持っているか』、さらに『その知識をどうやって得たのか』という2点をお互いに判断して「よ」「ね」「よね」を使っているということです。判断すると言っても、お互いの心を読んでいるわけではなくどんなスタンスを相手に示したいか、ということです。

「よ」は、<Xに関して相手は全く知識がない又は自分よりはないというスタンス>

「ね」は、<Xに関して自分も相手もお互いに知識があり、自分の見解はたった今得たものであるというスタンス>

「よね」は、<Xに関して自分も相手もお互いに知識があるが、自分の見解は現在進行中の会話、または相手の発話以前の個人の経験・知識から得たものであるというスタンス>

以上を踏まえて、実際の例を見てみると、三つの終助詞がいかに相手と円満な関係を築いたり保ったりするために使われているかが分かります。

(2) 美容師:すごい雨ですね~

    客:  ね~ 今日はきのうより-

    美容師:はい

(2)では美容師も客も天気に関する見解に「ね」を使っています。天気は同じ場所にいれば誰とでも共有できる知識ですが、雨が急に降り出したのではなければ、会話が始まる前にお互いとっくに知っていたはずです。にもかかわらず、「ね」を加えてたった今得た見解であるというスタンスを示し合うことによってフレンドリーな関係づくりをしようという態度を確認し合っているわけです。

次の例では友人三人がアイスクリームを食べています。しかし、アキがアイスを食べ始め「アイス、おいしい」と発言したときには、エミとユイはすでにアイスを食べ始めてからかなりの時間がたっていました。エミもユイも自分がアイスを食べだしたときには何も言いませんでした。

(3) アキ: アイスおいしい

    エミ: おいしいよね[

    ユイ:                         [おいしいよね~

アキの「アイスおいしい」発言に対し、「おいしいね~」で返すことももちろん可能ですが、「ね」だと「おいしい」という見解がたった今得たもの、つまりアキの発言につられて仕方なく同意していると思われる可能性があります。その点「よね」を使えば、エミもユイもアキよりも先にアイスを食べだしていたので、アキの発言よりも前に自身の経験から得た見解として、アキの「おいしい」に同意を示すことができるのです。

「よ」「ね」「よね」の使い方でコミュニケーションに支障をきたすことはないでしょうが、詳しく分析してみると話し相手との関係性や個人の性格までも見えてきそうで、ちょっとこわいです。


引用・参考文献

Hayano, Kaoru (2017) When (not) to claim epistemic independence: The use of ne and yone in Japanese conversation. East Asian Pragmatics 2(2): 163-193.

用例の出典

Hayano, Kaoru (2017) When (not) to claim epistemic independence: The use of ne and yone in Japanese conversation. East Asian Pragmatics 2(2): 163-193.

「は」で始まる発話―文法と話法―

「文法」とは文字どおり文を作るための法則のことですが、外国語教育や国語教育ではたいていの場合、文章だけでなく話しことばについて語ったり教えたりする時にも応用されています。たとえば、以前のコラムにも登場した助詞の「は」です。「は」他の言葉にくっ付いて初めて意味を成す機能語ですが、話しことば、特に会話の中では以下の例のように発話の頭に「は」(wa) がひとりぼっちで出てくることがあります。

(1) は、すごくかかってるよね。

(2) は、水曜日です。

もちろんこのコラムは書きことばですから、上の例を読んだときに「え?何これ。変でしょ」と私も思います。でも、話しことばのやり取りではこのような助詞で始まる発話はさほど珍しくありません。さらに、例のように単独で発話を聞いても(読んでも)訳がわかりませんが、話しことばでは単独で何かが発話されるということはまずなく、いづれの発話も前後の文脈 ― 「文脈」だとどうしても書きことばチックになるので造語ですがあえて『話脈』を使います ― 前後の話脈の中でしか存在しえません。上の例の話脈を明かすと、

(1)は友人同士の会話で、一人が途中まで言いかけた発話を受けてもう一人が締めくくっています。

(1) A:      時間とかさ、労力とか…

B:      は、すごくかかってるよね。

一方(2)は客と店員の会話で、客の質問に店員が答えています。

(2) A:      お店の定休日は何曜日ですか。

            B:      は、水曜日です。

(1)の「は」は助詞の機能をフル活用して相手と協調的な会話を成立させていますが、(2)の「は」はどうでしょうか。一見、必要ないように思えますよね。

さらに詳しく(2)の「は」の話脈を見てみると、まずBの発話はAの質問に対する返答で、さらに質問したAはお客さんなので丁寧に接するべき相手です。(2)の「は」は、この「質問に対する返答」、そして「質問をした相手が立場上の目上の人」という二つの話脈と強く結びついていて、助詞としての「は」の機能よりも、他に返答発話の頭によく見られる「ん~」や「え~」の機能、つまり躊躇、ためらい、相手に対する配慮や丁寧さを表しているようです。この「は」で始まる返答に関して1999年に国語辞書編纂者の飯間浩明先生もご自身のブログで言及なさっています1

ためらいを表す「ん~」や「え~」と同じ位置(返答の頭)に現れ、似た機能を果たす「は」は名詞に続く「は」と比べ声の音調が高く母音が長く発音される傾向も見られるそうです。頭の中で上の例のやり取りを声付きで想像してみてください。(2)はちょっと高い声で「は~」という感じで。私はこの声付き想像で(2)の「は~」も 確かに聞いたことあるなと思いました。

このように文法ならぬ『話法』では一つの発話を単独で扱うことはナンセンス(←まだ使いますか?死語?)で、その発話がどんなやり取りの中で、どのタイミングで、どんな相手に向けられた発話であるかが加味された状態で初めて意味を持ちます。

つまり、『話法』(文法もですが)はもともと決まりがあるわけでも不動なものでもなく実際の言語使用の中で形作られまた変化していくものです。

「は」の例にもどりましょう。(1)の「は」の用法はすでに広く多くの人が使っていますが、(2)の「は」は確かに使う人はいるな、でも自分は言わないぞと思う人が多いのではないでしょうか。ことばの変化は最初は少人数だけが使う若者言葉や口癖のようなものなのかもしれません。多くの人は長い間誰かが使うのを聞いていて理解はしていても自分が使いだすのは不特定多数の人が使うようになってから。昔、父が「チョー」を使いだした時のことを今でも覚えていますが、早く取り入れすぎて娘の私には違和感満載でした。人によっては自分が長年使ってきた言葉づかいとあまりにかけ離れていたり自分のイメージとそぐわないと、私はそれは使いません!という選択もありですよね。

話法は文法よりも速いスピードで変化していくので、世代間ギャップがでてきたり、書きことばの文法がすべての言語使用の規範であると疑わない人にとっては「最近の日本語は乱れておる」となるのも理解できます。自分が年を取っても若い人とふつうに会話できるといいな。


1.以下の引用・参考論文に記述あり。

引用・参考文献

Nakayama, Toshihide and Fumino Horiuchi (2021) Demystifying the development of a structurally marginal pattern: A case study of the wa-initiated responsive construction in Japanese conversation. Journal of Pragmatics 172: 215-224.

用例の出典

Nakayama, Toshihide and Fumino Horiuchi (2021) Demystifying the development of a structurally marginal pattern: A case study of the wa-initiated responsive construction in Japanese conversation. Journal of Pragmatics 172: 215-224.


いつでも軌道修正機

 


ドラえもんのひみつ道具のようなタイトルですが、今回のテーマは「と」「って」「とか」など引用の助詞です。ただの引用の道具と思うなかれ。引用の助詞は発話途中で言い直すことなく話の軌道を修正できちゃうまさに『ひみつ道具』なんです。

日本語は、発話の内容を理解するうえで重要な述語部分が発話末に置かれたり、発話の意図を理解するうえで重要な助詞などの機能語が名詞や動詞の後に置かれたりする後置型の言語です。

だから何?と思うかもしれませんが、会話のやり取りの中でこの構造上の特徴はけっこう大きな意味を持ちます。聞き手の立場からすると、相手が何を言いたいのか最後の最後まで聞かないと分からない面倒さがあります。逆に、話し手の立場で考えると、発話途中いつでも話の軌道修正・変更が可能なのでかなり柔軟性が高いといえます。

軌道修正にはさまざまな機能語が使えますが、なかでも便利なのが引用の助詞なんだそうです。

あれ?相手の反応がないな。変なこと言っちゃったかな。そんな時は・・・

『いつでも軌道修正機』(ドラえもんの口調で)これを使えば一度口から出ちゃったことでも時をさかのぼって内容を変えることができるんだ。

訳します。「と」「って」「とか」などを使えば、自身の発話を引用し、これから発する新たな発話構造の中に組み込むことができます。その過程で発話全体の趣旨を変えることができるんです。

次の妻と夫の会話では、妻に自分のよくない所を指摘された夫が応答しています。

妻:  ((夫のよくない所を指摘する))

夫:  それはそうね 

1.2秒の沈黙)

夫:     とゆうからいけないの 

夫はまず「それはそうね」と妻の指摘に同意しますが、妻から何の反応も得られず1.2秒の沈黙が続きます。ここで、夫は「と」で自身の発話(「それはそうね」)を受けて、「ゆうからいけないの」とその発話に対し批判的なコメントを追加しています。引用の「と」を駆使することで、発話全体の意味を『相手への同意』から『自己非難』に変換しているのです。

次の例では友人3人(A,H,S)が一緒に取った写真のお互いの映り具合について一通りコメントし合った後、Aが自身の映り具合について不満を漏らします。写真を撮ったのはSなのでこの不満はSに向けられたものだと理解されます。

A:     ま、どうゆう事情であれもう一度写真を

撮ってもらわないと困るな俺は

            0.3秒のポーズ)

しかし、他の2人から何も反応がないことからAは空気を察し、即座に以下のように続けます。

            A:     とか言ってー(笑い声で)

ここでも「とか」で自身の発話を受けて、「言ってー」と実際の発話ではなく仮想の発話であることを示すことで、発話全体の趣旨を『文句』から『ジョーク』に変えています。他の2人もこの時点で一緒に笑ってAのジョークを受け入れています。

言葉を使ってコミュニケーションする時にこんなふうにいろんなひみつ道具を駆使しているんだと考えるとちょっと楽しくなりませんか。


引用・参考文献

Hiroko Tanaka (2001) The implementation of possible cognitive shifts in Japanese conversation: Complementizers as pivotal devices. In: M. Selting & E. Couper-Kuhlen (Eds.), Studies in Interactional Linguistics (pp.81-109). Amsterdam: John Benjamins.

用例の出典

Hiroko Tanaka (2001) The implementation of possible cognitive shifts in Japanese conversation: Complementizers as pivotal devices. In: M. Selting & E. Couper-Kuhlen (Eds.), Studies in Interactional Linguistics (pp.81-109). Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins.