「おいしいよ」「おいしいね」「おいしいよね」

 


何かに対して思ったことや感じたことを誰かに伝えるとき、よく発話末に「ね」や「よ」や「よね」を使いますよね。これらの終助詞を加えることによってその発言が独り言や一方的な見解の発表ではなく、相手の反応を求めている発言であることを伝えることができます。会話に出てくる言葉全体の中でも上位に入るほど頻繁に使われる「ね」「よ」「よね」ですが、どんな違いがあるのでしょうか。

一般的な説明だと「ね」は同意を求めたり示したりするとき、「よ」は相手が知らないことを伝えるときに使用される、とあります。一方「よね」は説明自体が多くありませんが、「よ」と「ね」が組み合わさった複合助詞であるという説明が主流みたいです。確かに形だけ見ると「よ+ね」と考えるのは自然ですが、機能を考えると「よ」と「ね」は相いれない印象です。そこで、頭を柔らかくして「よね」を独立した別の終助詞だと仮定して実際の会話を分析してみると、おもしろい発見があるようです。

以下は私の作例ですが、「よ」「ね」「よね」に注目してみてください。

(1) A: これ、おいしいよ。食べてごらん。      

    B: そうなの?(ムシャムシャ)んん、ほんとだ。おいしいね。

    C: あ、それ、食べたことある。おいしいよね。

「よ」を使ったAは明らかにこの食べ物(X)を食べた経験があり、話し相手(BとC)はXに関する知識がないと考えていることがわかります。

「ね」を使ったBはAが思った通りXを食べた経験はなく、この場で初めてXを食した上で、自身の見解(おいしい)をたった今得たものとして示しています。

最後に「よね」を使ったCは予想外にXをすでに食べた経験があり、自身の見解(おいしい)をAの発言よりも前に個人の経験と知識をもとに得たものとして示しています。

ポイントは『話題に挙げられたXに関する知識を誰がどのくらい持っているか』、さらに『その知識をどうやって得たのか』という2点をお互いに判断して「よ」「ね」「よね」を使っているということです。判断すると言っても、お互いの心を読んでいるわけではなくどんなスタンスを相手に示したいか、ということです。

「よ」は、<Xに関して相手は全く知識がない又は自分よりはないというスタンス>

「ね」は、<Xに関して自分も相手もお互いに知識があり、自分の見解はたった今得たものであるというスタンス>

「よね」は、<Xに関して自分も相手もお互いに知識があるが、自分の見解は現在進行中の会話、または相手の発話以前の個人の経験・知識から得たものであるというスタンス>

以上を踏まえて、実際の例を見てみると、三つの終助詞がいかに相手と円満な関係を築いたり保ったりするために使われているかが分かります。

(2) 美容師:すごい雨ですね~

    客:  ね~ 今日はきのうより-

    美容師:はい

(2)では美容師も客も天気に関する見解に「ね」を使っています。天気は同じ場所にいれば誰とでも共有できる知識ですが、雨が急に降り出したのではなければ、会話が始まる前にお互いとっくに知っていたはずです。にもかかわらず、「ね」を加えてたった今得た見解であるというスタンスを示し合うことによってフレンドリーな関係づくりをしようという態度を確認し合っているわけです。

次の例では友人三人がアイスクリームを食べています。しかし、アキがアイスを食べ始め「アイス、おいしい」と発言したときには、エミとユイはすでにアイスを食べ始めてからかなりの時間がたっていました。エミもユイも自分がアイスを食べだしたときには何も言いませんでした。

(3) アキ: アイスおいしい

    エミ: おいしいよね[

    ユイ:                         [おいしいよね~

アキの「アイスおいしい」発言に対し、「おいしいね~」で返すことももちろん可能ですが、「ね」だと「おいしい」という見解がたった今得たもの、つまりアキの発言につられて仕方なく同意していると思われる可能性があります。その点「よね」を使えば、エミもユイもアキよりも先にアイスを食べだしていたので、アキの発言よりも前に自身の経験から得た見解として、アキの「おいしい」に同意を示すことができるのです。

「よ」「ね」「よね」の使い方でコミュニケーションに支障をきたすことはないでしょうが、詳しく分析してみると話し相手との関係性や個人の性格までも見えてきそうで、ちょっとこわいです。


引用・参考文献

Hayano, Kaoru (2017) When (not) to claim epistemic independence: The use of ne and yone in Japanese conversation. East Asian Pragmatics 2(2): 163-193.

用例の出典

Hayano, Kaoru (2017) When (not) to claim epistemic independence: The use of ne and yone in Japanese conversation. East Asian Pragmatics 2(2): 163-193.