日本のテレビCMを見るといつも外国人が登場する頻度の高さにとても不思議な感覚を覚えます。しかも日本での永住者の割合が高いアジア系ではなく9割方は欧米系です。コマーシャルの目的は商品のイメージをよくして売上を伸ばすことですから、視聴者の人種に対する印象に何かしらの歪みがあると会社側が判断していることがうかがえます。一方で、欧米系の出演者はカタコトの日本語を話し「他者」であることが強調されています。
2014~15年に放映されたNHKの朝ドラ「マッサン」のヒロイン・エリ―もまた「多様性」の賛美の裏で圧倒的「他者」として描かれています。それは、母語話者の話す日本語と第2言語話者の話す日本語は絶対的に異なるというような社会的言語観念を反映し、テレビCMに負けず劣らぬ不思議な形で表れています。
エリ―は「誰よりも日本人の心がある」と褒められながら、日本人の典型的な西洋人のイメージに合わせ髪を金髪に染められただけでなく、彼女の背景・設定からはありえない言葉を与えられました。広島弁を話す夫から日本語を学んだという設定なのに、自身が話すのは東京弁(共通語・標準語)。以下は夫の妹の発話をそのまま聞き返した時のものです。
夫の妹: まちごうた夢なんよ。
エリ―: まちがった夢?
夫と12年間大阪に住んでいた時でさえ、あいさつや聞き返しを除いて東京弁を貫いたようです。なぜか誰からも教わっていない話し方を習得してしまったということになります。次の例は大阪を離れる時のあいさつです。
エリ―: 私、大阪大好き。皆と別れる、とってもとっても寂しい。
たくさん悲しい。
(ちょっと話はズレますが、実際に外国人留学生を受け入れた日本の家庭で、家族間では普通に地域の方言で話すのに、留学生に話すときだけ東京弁を使う傾向が見られるというレポートがあるようです。いづれにせよ、「われわれ」と「彼ら」の線引きが行われているようです。)
エリ―の話し方の特徴にはもうひとつ女性言葉の欠落があります。女性言葉は主にアニメや映画・小説などフィクションの世界で使われ、大人の女性キャラの「役割語」です。一般的に外国語を話す設定のキャラクターでも女性言葉は使われており、女性言葉を使わないエリ―の発話は「よそ者」と「幼さ」感がアップしています。以下ではエリ―は夫に話しかけています。
エリ―: ウイスキー作る前に死んじゃうよ。
(女性言葉だったら「ウイスキー作る前に死んじゃうわよ」)
おもしろいことにエリ―が英語で話している時の日本語字幕には女性言葉が登場します。
エリ―: You are absolutely right, my love. I
don’t know what I was thinking.
[ 字幕: そうだったわね。どうして忘れちゃったのかしら。]
また、上記の大阪を離れる時の例のように、エリ―の発話は助詞や接続詞が欠けたカタコトが多く「たくさん悲しい」のような言い間違いもふんだんに見られます。
多様性というのはただそこに存在するもののはずですが、テレビCMやドラマに存在するのは何かしらの企みで作り上げられた虚像の多様性ですね。エンタメなんだからおもしければいいじゃんという気もしますが、気軽に多くの人が消費するエンタメだからこそ慎重に吟味する必要があると考えます。
引用・参考文献
Suzuki, Satoko. 2020. Multiculturalism or
cultural nationalism? Representation of Ellie Kameyama as a conduit and the other
in the NHK morning drama Massan. Japanese Studies 40(2), 121-140.
用例の出典
Suzuki, Satoko. 2020. Multiculturalism or
cultural nationalism? Representation of Ellie Kameyama as a conduit and the other
in the NHK morning drama Massan. Japanese Studies 40(2), 121-140.