「に」と「へ」

 


日本語には人や物が移動した結果行きつく先を示す助詞が二つあります。

「に」と「へ」どうやって使い分けるの?という素朴な疑問を一度は学習者から投げかけられたことがあるのではないでしょうか。

小学校の国語の教科書では当然のように「に」も「へ」も同じ機能を果たす助詞として扱われているようです。日本語が第1言語の子供は、話しことばでの「に」と「へ」の使い方はすでにマスターしているので学校でそう教えられたからといって日常会話で急に「に」と「へ」をミックスして使うようになることはないと思いますが、日本語を第2・第3言語として学んでいる学習者にとっては「に」と「へ」が入れ替え可能であると教えられればそう納得するしかありません。

文法書などでは「に」と「へ」は基本的に入れ替え可能だけど、焦点が当たる部分が違うよという説明が一般的なようです(「に」は終着点に、「へ」は向かう方向に、それぞれ焦点が当たる)。しかし、「に」と「へ」が実際どのような割合で使われ、どのような特徴を持っているのかを知るには、実際に使われている日本語を収集して分析するよりほかにありません。

実際に使用されている日本語を分析した結果、話しことばでは圧倒的に「に」が好まれ、書きことばでも「への」「へと」といったパターンを除いて「に」の方が多く使われていることが分かりました。

この研究では、まず日本語第1言語話者に短い文を50文読んでもらって、文中の動詞の前に「に」を入れるか、「へ」を入れるか、どちらでもOKか直観で判断してもらうというテストを行いました。以下、50文の中から2文を紹介します。

太郎は先週アメリカ__出発した。 (Taro left for America last week.)

太郎はもうアメリカ__着いた。 (Taro has arrived in America.)

テストの結果は、終着点にフォーカスした「着く」や「入る」などの動詞の前では「に」が好まれる傾向があり、出発点にフォーカスを当てた「出発する」や「出かける」などの動詞の前では「へ」が好まれる傾向がありました。この結果は、第1言語話者の“直観”が自身の言語使用を必ずしも反映していないことを示唆しています。

実際の話しことば(この研究では電話の会話)では、動詞の種類に関わらず8対1の圧倒的な割合で「に」が好まれて使用されていました。「へ」が使われている発話を見てみると、出発点にフォーカスした動詞と共起するのはまれで、「に」と同様に出発点にも終着点にも特にフォーカスのない「行く」との共起が一番多く見られました。「へ」の使用で特徴的な共起は動詞ではなく名詞の種類で「そこへ」と「どこへ」が多く見られたそうです。さらに「へ」は不特定の場所を示す「ところ」「の方(ほう)」「向こう」との共起も見られました。「に」は様々な動詞や名詞とともに使われていたということなので、明らかに「へ」のほうが限定的と言えるでしょう。

次に、書きことば(小説とエッセイ)での「に」と「へ」の使用ですが、こちらも5対1の割合で「に」の使用が「へ」を上回っていました。さらに、書きことばでも「へ」の使用の方が限定的で、4分の1以上が以下の例のように「へと」のパターンで使われていました。

家の中へと入っていった。

また、3割以上が以下の例のように「へと」のパターンで名詞の前に現れていました。

             ワシントンへの転勤

「へ」は話しことばと書きことばの間でもかなり使われ方が異なるようです。ひとつ、話しことばと書きことばで共通していたのは「の方(ほう)」との共起でした。「へ」は向かう方向に焦点が当たるという説明はあながち間違っていないようですね。ただこの理解が「の方へ」や「向こうへ」といった特定の例から得られたものなのかさらに広い例を通して見られる傾向なのかは分かりません。また、言語は常に変化しているので、ますます「に」の勢力が増していくかもしれないし、「へ」の特徴的な使用のパターンが発展していくかもしれません。

私自身は話しことばでは「へ」は全く使っていないような気がするんですが、自分の直観はあまり信用していません。


引用・参考文献

Kabata, Kaori. 2014. Interchangeability of so-called interchangeable particles: Corpus analysis of spatial markers ni and e. In Kabata, Kaori, and Tsuyoshi Ono (eds.), Usage-based Approaches to Japanese Grammar: Towards the understanding of human language, pp. 171-192. John Benjamins.

用例の出典

Kabata, Kaori. 2014. Interchangeability of so-called interchangeable particles: Corpus analysis of spatial markers ni and e. In Kabata, Kaori, and Tsuyoshi Ono (eds.), Usage-based Approaches to Japanese Grammar: Towards the understanding of human language, pp. 171-192. John Benjamins.

フィッツジェラルド フランシス・スコット『グレイト・ギャツビー』枯葉(訳)青空文庫 (http://www.aozora.gr.jp)