「っけ」の三つの顔

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ローマ神話に二つの顔をもつヤヌスという神がいます。後ろ向きの顔と前を向いた顔。過去と未来を同時に見ることのできるヤヌスは、物事の終わりと始まりの守護神でもあり年の初めである January (1月)の語源にもなっています。

日本語はラテン語と直接関係はありませんが、「そうだっけ」や「なんだっけ」に見られる『っけ』には、ヤヌスの眼差しのように過去と現在を同時に見つめる話者の視点が投影されています。その視点とは「今は思いだせないけど、前は確かに知っていた」という、自身の知識の二面性です。

何かを忘れたり思いだしたりするのは自己の頭の中で完結するタスクです。私もしょっちゅう色々なことを「んーっと、あれ?なんだっけ」と一人で忘れたり思いだしたりしています。

一方、家族や友だちとのやり取りの中では、『っけ』は自問自答ではなく相手に向けられた発話の中で使われることが多いようです。

例えば、(1)の「どこだっけ」は相手の出身地を確認するのに、(2)の「なんてゆうんだっけ」は人の名前を思いだすサポートを相手に求めるのに使われています。

(1)    

「出身地はどこだっけ」

B「横浜」

(2)    

A「ほら、あの人、目の大きい人、なんてゆうんだっけ」

B「んー、くにかた?」 

A「そう!」

確認や質問なら『っけ』の代わりに「か」を使ってもよさそうなもんですが、『っけ』にはどうも良好な人間関係を維持したり相手との直接的な衝突を避けたりする力もあるようです。

どういうことかというと、『っけ』を使うことで(1)なら「前にも聞いたってゆうのは覚えてるんだけど…」、(2)なら「過去に一緒に経験したことを話題にしたいんだけど、ど忘れしちゃった…」というような意味がプラスされます。

そして、知っているはずのことを全く覚えていないことから起こりうる人間関係上の問題を回避したり、共有している過去の経験を今現在の話題に繋ぐことで長期的な人間関係を続けていきたいという思いを伝えたり、なんてことができちゃうわけです。また、相手に頼る姿勢を見せることで絆が深まることもあるかもしれません。

次の例では相手の主張に対し『っけ』を使って反論しています。

(3)   

A「二か月前だよ」

B「二か月前だっけ」

主張に対する反論の『っけ』は、相手が示した情報と自分が知っていたはずの情報との間に食い違いがあることを示しつつ、自分も今はどちらの情報があっているのか自信がないという態度を示唆します。「二か月前だっけ」と相手と自分に同時に問いかけることで、情報の食い違いから起こりうる直接的な衝突を回避し友好的な関係を保つことに貢献しています。

会話の中の『っけ』は自身の過去と現在だけでなく、会話の相手も同時に見つめる三つの顔があるようです。


引用・参考文献

Makoto Hayashi (2012) Claiming uncertainty in recollection: A study of kke-marked utterances in Japanese conversation. Discourse Processes 49(5), 391-425.

用例の出典

Makoto Hayashi (2012) Claiming uncertainty in recollection: A study of kke-marked utterances in Japanese conversation. Discourse Processes 49(5), 391-425.