疑問語を含まない質問は、「はい」「いいえ」だけで答えられるので、日本語を習い始めたばかりの学習者相手にもよく使われます。例えば、次のような質問に対する返答は「はい」か「いいえ」で事足ります。
質問「学生ですか?」
答1「はい」
答2「いいえ」
では、次の質問はどうでしょう。
「元気ですか?」
「元気ですか」と聞かれて、たとえあまり元気じゃなかったとしても「いいえ」とストレートに答える人は(冗談や皮肉を除いて)あまりいないのではないでしょうか。
この例に限らず、相手の質問に対し、なにかしら否定的要素の入った返答をする場合、直球でよりも複雑な変化球で返すことが大変多いことが分かっています。ただし、プロ野球のそれとは違い、会話の中の変化球は投げる時のクセや球の流れが相手にだだ洩れです。だだ洩れでなければ意味がないのです。
変化球のクセのひとつに発話頭の「まあ」があります。「まあ」は、疑問語を含まない質問の中でも、相手に『理解や共感の確認をする』という目的を持った質問に対する返答の頭に現れることが多いそうです。実際の会話から例を見てみましょう。
(1)理解の確認
A「酵素?」
B「まあ酵素って言われてるもんですけど、いわゆる」
A(頷く)
(1)ではAの質問の前にBが話していた物質が何であるのか、Aが理解の確認をする質問をしています。この質問に対し、「まあ」で前置きすることによって、Bはこれから述べることは「否定」ではなく『含みのある肯定』または『ノーよりのイエス』だよということを匂わせています(ちなみに『ノーよりのイエス』は『なしよりのあり』のもじりですが、このコラムを読んでくださっている時点でどの程度この表現が生き延びているのかはわかりません)。つまり、<全面的な肯定はできないけど、総合的にはあなたの理解は合っているよ>という話者の譲歩的な態度を示しています。
(2)はポスドク3人の会話で、Dが働いている研究室に実験をしに来た学部生が短いショートパンツを履いてデスクの上に足を投げ出すのは行儀が悪いと発言した後、Cが反論しDに共感を求めています。
(2)共感の確認
C「ショートパンツならいいじゃん?」
D「まあそうですけど、僕はなんかサンドイッチ食べながら
ハムを落としてましたよ」
C(笑い)
D「動揺して」(笑い)
この例でも「まあ」で前置きすることによって『含みのある肯定』をほのめかし、さらに「学部生の姿を見て動揺しサンドイッチのハムを落としてしまった」と詳細な描写をすることで、なぜ「ショートパンツならデスクに足を投げ出しても問題ない」という意見に完全な共感を示すことができないか理由をつけ加えています。
このように、「はい」「いいえ」で答えられる質問でも、「はい」でも「いいえ」でもない、中間の返答が存在します。
そして、返答の前置きを聞くだけで、返答者が質問の意図や質問が暗示する前提をどう捉えているか読みとることができます。前置きには「まあ」の他に「あ」や「え」もあります。
さらに、前置きが「まあ」の場合、返答者が質問者への歩み寄りを示すことにより、これ以上お互いの認識のズレを追求したくもないしされたくもないといったスタンスを感じとることができるようです。実際、会話の中で「まあ」の前置きがあった返答の後に論点になっているズレを両者がさらに追及することはなかったそうです。
第一言語話者が無意識に使っている「まあ」のような言葉は、その役割を言葉にして説明するのが非常に難しいと思いますが、会話の中での意味の交渉、コミュニケーションの道具としてはかなり重要な役割を果たしていると言えます。
引用・参考文献
Arita, Yuki. 2021. Display of concession:
Maa-Prefaced responses to polar questions in Japanese conversation. Journal
of Pragmatics 186, 1–19.
用例の出典
Arita, Yuki. 2021. Display of concession:
Maa-Prefaced responses to polar questions in Japanese conversation. Journal
of Pragmatics 186, 1–19.